90、スポーツと健康(令和元年10月4日)

 人生100年時代といわれ始め、健康寿命に関して関心が高まっているように感じています。筆者も数日で79歳になります。同年輩の友人も元気な方も多い反面、既に亡くなり、具合の悪い方も増えています。医学が発達している現在ですから、延命治療で多くの知人が病院で過ごされています。
 私自身のことでいえば、具合の悪いところや、医者に指摘されている血圧や血糖値に関してあまり自慢はできませんが、少なくとも、食欲も盛んで皆に食べ過ぎだと批判されるケースもありますが、今のところ自覚症状はなく、元気に過ごしています。もちろん、主治医には食生活の改善をと、常に警鐘を鳴らされています。
 私の兄弟は5人いましたが、長男は生まれて間もなく亡くなっていて、一歳上の兄は激務のサラリーマン生活の後、自分の好きなことをして過ごしていましたが60半ばで亡くなり、一番下の弟も40台で難病を患いなくなってしまいました。現在、元気で生きているのは妹と私だけになっています。
 私が元気でいられるのは、両親から頂いた健康な体だからかもしれませんが、やはり日頃の運動好きなところにあると感じています。本来人間は動物ですから、それなりの運動は必要なわけで、それが現代の社会では適度な運動が好きでするか、健康維持のためにするかを心がけないと、人間の内臓も含めた機能が低下すると私は考えます。
 自分を振り返りますと、小学校2年までは愛媛の今治で過ごしていて、野原や河岸を駆け回っていたと思われますし、その後東京での生活も運動ができる環境に在ったと記憶しています。運動好きの私は中学校では山岳部に入り、ふだんは校庭で幅跳びや、三段跳びをやっていました。高校ではバレーボールを部活でやっていました。当時は6人制ではなく9人制で、身長がないので常にレシーブ中心のバックのポジションでした。部活が終わると体はぐったりしていましたが、毎日運動後の爽やかな気分を味わっていました。
 大学の3年間は空手部で部活の毎日でした。厳しい練習に加えて、その頃からテニス部の友達とテニスを楽しんでいました。このテニスは現在も続けています。大学を卒業後も40代半ば頃までは、バレーボールや空手も遊びで楽しんでいましたが、運動の中心はテニスになりました。特に、アメリカ、シカゴの駐在中の4年間と、香港の駐在中の3年間は、ほぼ毎週ラケットを握っていました。東京へ戻ってからも、仲間を探して続けていました。地域の大会にも何度も参加しました。今でも東京へ戻ると仲間に声をかけてテニスを楽しんでいます。今はほとんど高知へ滞在していますが、テニスは継続しています。
 若い方々に入れてもらっているテニスは、近くの中学校のコートで夜の8時から10時の時間帯で、毎週月曜と金曜にできるだけ参加するようにしています。後は東京での友人で高知にUターンされた方と、月に2回ほど彼が所属しているテニスクラブで楽しんでいます。
 さらに、最近では知り合いの婦人から、初心者ですが何人か集めるからテニスを教えてくださいと依頼され、私のニックネームロッキーをチーム名にして、高知のセレブのテニススクール“ロッキーズ・テニスクラブ”が始まっています。

2019年10月04日